東南アジア最大のスラム街「スモーキー・マウンテン」に行ってきた!!!
こんばんは〜
1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。政府は、国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断。住民は、公共住宅をあてがわれ強制撤去させられたが、一部の住民はスモーキー・バレーをはじめとする別の処分場周辺に移り住み、従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けている。
※Wikipedia参照
トタンや板、ビニールで覆われたバラック。
ここで生活することを想像すらできませんでした。
かつては山の上を中心にしてここら一帯に
二万世帯がバラックで
暮らしていたそうですが、
スモーキー・マウンテンがゴミ収集場としては閉鎖されたときに
強制撤去、強制移動させられたのがこの山から見える団地。
今、スモーキー・マウンテン一帯で暮らす家族は
18000世帯に減ったそうです。
しかしこの団地1棟につき大体100世帯もの
家族が暮らしているのだそうです。
一世帯につき大体8人の家族構成。
過不足はあると思いますが、単純計算しても、
15万人がこのスモーキー・マウンテンで
生活していることになります。
ちなみにマニラ市の人口は165万人。
少しサバを読みますが、
マニラの人口の10分の1が、
このスモーキー・マウンテンに集中しているのです。
山の上からはスモーキーマウンテンから出た臭気でくすみながらも、
マニラ屈指の富裕層の街マカティー地区の高層ビル群が
頭をのぞかせていました。
フィリピンの貧困の象徴とされた場所から見えるこの景色は、
私に非常に大きな違和感を抱かせたとともに、
この国が抱える大きな問題をも物語っていました。
家があれば当然人は住んでいるわけで、
人がいれば当然暮らしがあるわけで。
貧困の象徴と言われるこの場所に住み続けるのは、
一体どんな気持ちなのでしょうか。
山の上のバラックで未だに暮らし続ける人々もいました。
現在もまた新しい団地を建設中で、
彼らは完成したら順に新しい団地へと
移動していくのだそうです。
スモーキー・マウンテンで出会った子供達。
とっても綺麗な目をしています。
出会ったおっちゃん。
快く写真を撮らせてくれました。
山の上から降りると、
ゴミをまとめたり集めたりしているところに遭遇。
今では許可を得た人しかゴミを回収することもできないそうですが、
このおばちゃんは許可もらってるのかな。
完全になくなることなんて、
やっぱり厳しいのかな。
どんな仕組みになっているんだろう。
現在もいたるところにゴミはあるし悪臭もしましたが、
それでもかつては通るだけで吐き気をもよおしたというこの場所も、
今ではだいぶ改善され、ゴミ自体は少なくなってきました。
そして私がこの日登った貧困の象徴とまで
謳われたこの山の上には、
二年後大きなホテルが建つのだそうです。
彼らは案内しながら、
口々に言いました。
”development”
発展のおかげだと。
発展のおかげでこうして改善されているのだというのです。
しかしもしこのホテルができたとき、
このスモーキーマウンテン一帯に住む彼らは、
果たして今の家に住み続けることができるのでしょうか。
もし仮に住む場所を奪われたとしたら、
彼らの行き場所はどうなるのでしょう。
もっと前を辿れば、
1995年に強制的に閉鎖されたスモーキー・マウンテン。
このとき、ゴミを集めてそれをお金に変えて、
収入を得ていた人々の暮らしは一体どうなったのだろう。
収入源の大きく失った彼らに、
国は新しい働き口をきちんと提供し、
その後のアフターケアまでちゃんとしたのか。
それぞれに支援を施しているようで、
教育サービス、医療サービス等受けられるようになっているため、
以前よりは人々の暮らしはもしかしたら改善しているのかもしれません。
しかしそれがなくなったときはどうする?
もし支援が滞ったとき、
彼らは自分たちの力で生計を立てることができるのか。
支援がなくなったら八方塞がり、
動こうにも動けないとは思いますが、
それでもただ与えるだけの支援はやはり考えものですよね。
支援のあり方は常に考え続けなければいけない問題だなあと
つくづく思います。
もちろん、国やそれぞれの団体が
どのような政策・支援に取り組んでいるかなど、
詳しいことは何も知らない私には、
とやかくいう権利すらないのですが。
それでも考えずにはいられませんでした。
違和感を持たずにはいられませんでした。
発展のおかげだという
彼らの言葉について。
発展とは、一体何のでしょうか。
どこにいっても子供達だけは、
キラキラとした笑顔みせてくれて、
ときにはパワーすら感じました。
彼らの目から輝きが失われる日はくるのかな。
彼らが絶望を知るのはいつなんだるう。
もしかしてもう、充分知っているのかな。
もし彼らが今はまだ何も知らなくても、
いつか自分の出生を運命を悔やみ恨み、憎み、
絶望とともに失望し、
彼らの目から光が失われる日が来るのかな。
もう一度問います。
発展とはなんなのでしょうか。
一部の層だけが甘い蜜を吸うようなものではなく、
少しずつでも全体が底上げされ、
みんなに蜜が均等に優しく分配される。
出生によって運命を決められ、
苦しい環境下で絶望のなかで生涯を終える。
そんな悲しみに溢れた人生の人が減っていく、
なくなっていく。
貧困の連鎖が止まり、
少しでも多くの人が夢の実現に向け、
一歩一歩を踏み出していく。
そんな変化が”発展”であってほしい。
そうするためにはどうしたらいいのか。
ただ願うのではなく、
ひたすた考え、自分にできることを
一つ一つ実践していきたい。
そんなことを今回改めて強く思いました。
今日の記事はかなり真面目にかついつもより更に
長文になってしまいました。
でも伝えたいことなので、一生懸命書きました。
最後まで読んでくれた数少ないであろう皆様、
ありがとうございます。
では今日はこの辺で🎵
失礼します。